練習場の歴史

1972年(昭和47年4月)
屋島サッカースポーツ少年団の誕生

県内3番目のサッカーチームとして活動をスタート。屋島小学校の運動場をグラウンドとした。


1982年(昭和57年)
屋島サッカーグラウンドの誕生

高松市東部下水処理場の将来増築用地を『レクリエーション用運動場』として地元自治会が市から使用許可を受け、サッカー場について本団が自主管理運営することとなり、活動をスタート。なお、当時防球フェンスや常設テントはなかった。


198X~1992年
下水処理場大規模工事による場所変更

高松東部下水処理場の大規模修繕工事の関係で運動場が使用不可に!
本団顧問の妻鹿氏(元市議会議員)のご尽力より、当時、穴吹興産所有のマンション建設用地(現アルファシティー屋島)をサッカーグランドとして利用できることになった。


1990年(平成2年)
第1回穴吹杯屋島招待サッカー大会

練習場での縁があり、穴吹杯屋島招待サッカー大会が開始された。現在も続けられている歴史ある大会の最初がこちらになる。


1990年(平成2年)
第1回穴吹杯屋島招待サッカー大会

昔はうどんも用意して振舞われておりました。


1990年(平成2年)
全日本少年サッカー大会香川県大会初優勝!!

1990年を最初に、幾度となく全日本少年サッカー大会香川県大会で優勝した。


1992年(平成4年)
再び下水処理場への場所変更

下水処理場の大規模工事が終わり、再び下水処理場に戻ってきた!
以後この場所をホームグラウンドとした。再度戻ってきた時も防球フェンスなし、中央の常設テントもなしでした。


1992年(平成4年)
再び下水処理場への場所変更

別角度からの写真!!
防球フェンスも常設テントもないのがよくわかります。


2004年(平成16年)
台風16号、23号による浸水被害

高松を襲った大型台風に高潮が加わり、大規模な浸水被害が発生!!
それにより屋島グラウンドが災害ごみの集積場となった。その後、ごみの搬出が完了し、再度グラウンド整備を行い、現在の防球フェンスが設置、現在に至る。




チームの歴史

2チームでの出場

各大会には基本的に「屋島サッカースポーツ少年団」として出場するが、昔は人数が多いため2チームに分けて出場する際に「屋島ドリームボーイ」のチーム名を付けて出場した。また、あなぶき杯については、6年団を「屋島サッカースポーツ少年団」、5年団を「屋島ドリームボーイ」とし、2チーム出場した。




ユニフォームの歴史

色の変更

表の通り、全日用以外は色の変更があった。


昔のU10~12の全日以外

上から、白、緑、白。


昔のU7~9

上から、青、水色、緑。




イベントの歴史

本団初の大山スキーツアー


屋島サッカースポーツ少年団広報

紙の広報誌を作成し、各団に配布していた。


広告雑誌の裏表紙に掲載

第37回全日本少年サッカー大会全国大会(平成25年)時に雑誌「Soccer MAMA(サカママ)」の裏表紙に本団の選手が掲載された。